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仏心寺 駐在 3月10日

本日は、日本に帰る日です。
なんだかんだで4ヶ月ちょっと。
あっという間でした。
いいこともあり、悪いこともあり、大変つかれました。

日本に帰って頭をリフレッシュしたいなと感じてます。


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朝から、ソヌがおばあちゃんとお寺に見送り&お参りにて来てくれました。
その後、長期間ブッダガヤに滞在して仏教の絵を習っている人と朝ご飯に行き、
近くのお寺さんに挨拶に行き、部屋に戻って大掃除。
3日前から風が強くて、部屋の中は埃だらけでした。

あっという間に午前が過ぎ、空港へ。

色んな人達を迎えたり見送ったりを何回もしてきた空港。
今度は見送られる側です。
不思議な気分で飛行機への搭乗を待っていました。

そして、タイ航空の飛行機に乗った瞬間。
一気にブッダガヤとは別世界になりました。
とにかく綺麗。その一言です。

シート、機内サービス、ご飯、飲み物。
同じ時代でもこんなに違うのかと少し感動。

4時間のフライトでバンコクに着けば、そこは本当に別世界。
ほっとするような、そわそわするような。


そんな気持ちでバンコクの空港で日記を書いています。

これからまた飛行機に乗って関空を目指します!

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仏心寺 駐在 3月9日

本日は、2週間近くいた若いご夫婦が出発されました。
2週間の間に、仏教のことや、将来のこと、これからの課題、ちょっと愚痴など。
本当に、いろいろな有意義なお話をすることができました。



目標を持って旅をされている人の話を聞くと、自分の行動や活動のことも考えさせられるなと実感。

日本にいては絶対に会えなかった人たちで、会えたことが本当にうれしかったです。


去年の今頃は、仏心寺は宿泊される方も少なく、閑散としていました。
今年は大学生も多く、その中で仏教を勉強したいという人もたくさんいます。

ちょっとずつ本当にいい方向にいっていると思います。

そして、今度はお寺の役割をちゃんと話していきたいと思います。
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仏心寺 駐在 3月8日

本日は、前々から連絡をいただいていた、鳥取の日蓮宗の団体がお寺をに来てくださいました。
昨年、団長さんは個人的に仏心寺に一週間ほど滞在されました。
「今年は、団体で行きます。よろしくお願いします。」と連絡をくださっていました。


27名の大人数で旅行されていて、ご住職や若い僧侶や女性、いろいろな年代の方が来てくださいました。

お寺に着いて、すぐにお勤めをされました。
そのあと、ちょっとの間ですがお寺の説明とブッダガヤの現状
(若い方が仏教に興味をもってきてくれているということ)
をお話しさせていただきました。
若い私が、皆さんの前に立つのは気が引ける思いでしたが、
それでも、自分の思いを伝えさせていただきました。

そのあと、宿坊を見ていただきました。そして、日本から持ってこられた沢山の玩具を子供たちに
ドネーションしてくださいました。
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団体旅行で、仏心寺を予定に入れて頂いたことは、初めてだったので、本当にうれしいの一言です。


たくさんの方に「がんばってください」と声をかけていただいたことも忘れられません。


こうやって、仏心寺のことがたくさんの人に伝わっていってもらえたら嬉しいです。
なにより、宗派の垣根を越えてお寺を行ききして、一緒に協力できることが本当に大切なことだと実感しました。

仏心寺 駐在 3月3日

今日は、宿泊されているご夫婦が、ちょっと修行をしたいということで、一緒に別時念仏(南無阿弥陀仏を木魚を打ちながらひたすらに唱える)を40分、そのあと礼拝(立って、座って頭と両肘を地面につけることを繰り返す)を30分行いました。

 ご夫婦と他の日本人も一緒に参加したいというので、私と4人ではじめました。

 ご本尊の前に一列に並び、お釈迦様の顔を見ながら「南無阿弥陀仏」と木魚に合わせて唱えていきます。

 初めのうちは、みんな恥ずかしがって小さい声で唱えていましたが、
5分・10分と時間がたつにつれて少しずつ声が大きく出るようになってきました。
みんなの声が一つになり、耳に届く南無阿弥陀仏は大変心地いいものでした。

一人で唱えていると長く感じる40分も、4人で唱えているとあっという間でした。
と、思ったのは私だけみたいで、慣れない正座の40分は大変きつかったみたいで、
終わった瞬間「はぁー」というため息とともにみんな足をさすっていました。

10分ほど休憩した後、礼拝を開始。

別時念仏とは違い、立ったり座ったり、頭を床につけたり。
動きながら南無阿弥陀仏を唱える。

途中の息継ぎのときには「はぁ、はぁ」と息切れの声も。
そして、気付けば30分。

みなさんヘトヘトでした。

けど、意外な反応が
「すごくよかったです。いろんなことを頭の中で考えさせられました。
別時念仏の時はいろんな考えがどんどん出てくるのがわかり、
礼拝になると頭をつけて謝る姿勢になるので、
この姿も大変好きです。本当によかったです」と。

みなさんがいろんなことに気づいてくれたこと、本当にうれしかったです。
ただ、自分自身もまだまだ考えさせられる部分もありました。
こうやって続けていくということが大切だと実感しました。


初めての試みでしたが、みんなで一緒に唱える、一緒に行えたことは、素直によかったと感じました。

仏心寺 駐在 3月1日

気付けば3月です。
帰国まで10日になりました。

本日は、朝一番にチベット仏教のニンマ派のトップ、カルマパさんに会う機会がありました。
チベット仏教を勉強している日本人の方が謁見する機会をもらえたということで、一緒に行ってきました。

会う前に、まずパスポートのチェックをされます。
部屋に行くまでに、荷物チェック・ボディチェックをされ、やっと部屋の前へ。

限られた人しかその場所に行けません。
西洋人やチベットの人など30人程の人達が待っていました。

すぐに、僕たちの順番がきて部屋の中へ。

部屋の真ん中にカルマパさんが立っていて、側近の方が3名おられました。

カタといわれる、シルクでできたスカーフのようなものをカルマパさんに一人一人かけてもらいます。
同行させていただいた日本人の方が、「何か日本人のためにお話を」と言うと困った顔をされましたが、
「ブッダガヤは最高の土地だ」と簡単な話(1分ぐらい)をしてくれました。

最後に簡単なお経を唱えていただき、謁見は終了。

時間にして数分でした。

外に出ると沢山の人が、早く会いたいという顔で待っていました。


何ともいえない不思議な雰囲気の方で、やはり修行をずっとしているので、
そのようは雰囲気を醸し出しているんだと思います。

日々修行ですね。
そうすれば、自然と体に染み付いていき、自然に振る舞えるようになっていくのだと思う。
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仏心寺 駐在 2月28日

今日で二月も終わりです。
二月に入ったと思ったら終わった感じです。
今月だけで、40人ぐらいの人と出会って別れました。
その中の一人でも仏心寺のこと、話をしたこと、仏教にふれたことを忘れないでいてくれたらうれしく思います。

 本日は、ビジャイさんの息子さんの誕生日会にいってきました。
前回は娘さんでしたが、今回は息子さんです。
近々、学校の寮に入るので、本当は一カ月ぐらい後なんですが、今日お祝いでした。

前もそうでしたが、近所の子供たちが20人ぐらい集まってのお祝いです。
みんな手には、プレゼント。
綺麗な紙でお菓子を包んでくる子。
ノートとペンを持ってくる子など。
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7時半からといわれ、結局始まったのが8時過ぎ。
インド時間です。

みんなで歌を歌い、ケーキを誕生日の子が大人の人に食べさせます。
そして、お菓子を子供たちにふるまいます。

顔ぶれを見ていると、結婚したばかりのリナさん夫婦もお祝いに来ていました。
今まで、パンジャービスーツという子供が着る服の姿しか見たことがなかったリナさん。
「今日は、サリーを着てきていました。」
心なしか大人な表情になったというか、大人になったという印象を受けました。
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ビジャイさん夫婦も「二人はHappy」といって、からかっていました。
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最後はカレーを御馳走になって誕生日会は終わり。


みんな一緒に笑顔、楽しい時間でした。

仏心寺 駐在 2月22日

昨日に引き続き、ちょっと離れた場所の現状を見に、ビジャイさんと友人、宿泊している日本人僧侶の方と行ってきました。

 8時に約束で、8時に家に行くとそこからまずはチャイを1杯
余談ですが、チャイをふるまうのは当たり前のことで、これを断るのも大変失礼で神様に怒られるといわれました。

そして、「朝ご飯食べて!」といわれチャパティにオニオンを挟んだものを2枚。
プラスでチャイを1杯

なんだかんだで9時に出発。
(インド時間です)

バイクはもちろん三人乗りです。
(This is inda)

途中で友達と合流し、ブッダガヤから少し離れた村へ。

基本的にインドの建物はレンガでできているのですが、裕福な人だとレンガの上にセメントを塗り綺麗にします。
お金がない人は、レンガを積んだだけの作りになります。
もっと貧しい人になるとレンガじゃなくて、土に藁を混ぜた壁で屋根は素焼きの瓦みたいなものになります。
もっともっと貧しい家になると、土の壁の上にバナナの葉っぱを乗せただけの家になります。

バイクで、数キロ走っていくと家の風景が、どんどん変わっていきます。

そこに住む人たちの服装も、今風の服装から、インドの伝統衣装に変わっていき、
また、服装は同じでも汚れた服装へとどんどん変わっていく。

見ていると複雑な気持ちになります。

到着した村は、土壁にバナナの葉っぱの家ばかりでした。
日本人が来るのは確実に初めての場所で、みんなが物珍しそうに集まってきます。
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ビジャイさんが、数人のインド人を紹介してくれました。
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みんな事故に会い、腰や足の骨を折って寝たきりの人ばかりで、
月に数百円~千円程の治療費や薬代も払えない状況の人たちでした。



ビジャイさんは「写真を撮っていいよ」といいましたが、さすがにカメラは向けれませんでした。

ビジャイさんは、「こんな人がもっと沢山いる。助けたいけど自分にも限界がありどうすることもできない。政府が支援を始めているが、田舎の方には届かなかったり、政府の支援も数百円なので薬代や病院代に回すことができない」と言っていた。

最後に、「この状況を是非いろんな人に伝えてほしい。そしてできるなら助けてほしい」と付け加えました。


現地の表の顔は裕福になっていき大変いい方向にいっているようだが、ちょっと裏側を見ると日本からは想像できない状況でした。



まだまだ、仏心寺でできることは少ないが、この現状をしっかり見て伝えることも大切なことだと実感しました。

仏心寺 駐在 2月20日

今日は、大学に行く支援をした女の子リナ・クマリーが結婚するので結婚式に参加してきました。


朝10時には結婚式会場へ向けバスで移動するという。
家に行くと、これまたインド時間。あわただしく準備をしていました。



お父さんは普段の服を着て、どうしていいのか分からずあたふた。
女性陣は家の片付けや化粧などでバタバタ。
その中で近くの人がお別れを言いに家に来てと言う、バタバタした状態。



やっとのことで出発の準備が整ったのが12時。
ただまたここで問題が。
バスを一台借りていたのだが、村の人たちが勝手にバスに乗り込んでいて、一杯になり、リナの家族は乗れない状況に。(一杯というのは、日本のように座席が一杯ではなく、バスの中にギュウギュウ詰めに乗り、それプラスバスの天井にものった状態です)
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急きょバスを一台チャーターして午後1時にやっと出発。

僕は、ビジャイと一緒にバイクで二人乗りをして移動。
式をするお寺まではブッダガヤから15キロぐらい。

お寺に到着すると、大音量の音楽や太鼓がそこらじゅうで響き渡っている。
お寺の敷地内ではいたるところで結婚式が行われていました。
ちょうど結婚式シーズンで、結婚式で有名なこのお寺には、ざっと見ただけでも5組ぐらいしていました。

そんな中あいているスペースを探して場所を確保し、布などを引いて準備をしていきます。
ここでも、マイペースでゆっくり。見ていて、もっとテキパキしたらいいのになと思う自分は、まだまだ日本人だなと実感。



まずは新郎の儀式をしていきます。
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1時間近く、ヒンドゥーのお坊さんがお経を唱え、火を燃やしたりと、儀式をします。
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最後に、お坊さんが参加した人に糸を巻いて”おまじない”をして終わりです。
それが終わると、いったん休憩。
家から持ってきたご飯をみんなで食べます。
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バナナの葉のお皿に、ジャガイモのカレーとプリーといわれる、ピザの生地を上げた感じのもの、そして甘いお菓子でお昼御飯です。
もちろん手で食べます。
みんなでわいわいしながらピクニック気分。
ただ、この時点で4時。
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そこから新婦の方の儀式を開始。
またヒンドゥーのお坊さんがお祈りをして、その周りでは女性陣が取り囲み歌を歌っていました。結婚式に女性が歌う歌があるみたいです。
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1時間が経過して終了。

あたりは少しずつ暗くなってきました。

そしてやっと本番の、新郎と新婦の御対面。


二人で並び、またお坊さんのお経などが始まる。
この時点でもうあたりは真っ暗。
この場所は夜使うのが想定されてないので、電気がありません。
真っ暗の中、儀式で使う火の明かりだけで儀式が進んでいきます。

ここで事件が。
式の最中に横でいきなり喧嘩が始まりました。
酔っ払った人が紛れ込んだみたいで殴り合いのケンカです。

それを横目に式は進んでいきます。
さすが、インドだなと改めて実感。

やっと6時半に式は終了。
あたりは真っ暗。終わった瞬間に、みんながプレゼントを持って我先にと押し寄せてきます。
並べばいいのにと思う僕は、また日本人だなと実感。

途中までは順調にプレゼントの受け渡しが出来たのですが、だんだんみんなもつかれてきて、しかも我先にとごちゃごちゃになってきて、その横では喧嘩がありともうめちゃくちゃな状態でした。
最後は新郎新婦も嫌な顔をして、その場を逃げるように離れて行きました。

やっと本当に終了。

ほっとしたのもつかの間、すぐに帰るために移動。


帰りは二人乗りは危ないということでぎゅうぎゅう詰めのバスに乗って帰りました。


ブッダガヤに着いたのは夜の8時。
なんかほっとしました。

こうやって新しい門出に立ち会えたこと、地元の人が結婚式中も気を使ってくれたことなど、最後には良かったなと思うことばかりでした。

貴重な一日が終わりました。

仏心寺 駐在 2月19日

今日はビジャイさんが所属する政治のグループが主催する、貧しい人たちの集まりに参加してきました。

ビジャイさんは、現地の準備やまとめ役をしており、「是非今回の集まりにきてほしい」と紹介してくださいました。
お昼からのスタートでしたが、やはりここでもインド、時間通りにはいきません。
スタートの時間に現地に行ってもまだスピーカーの設置。
もう慣れたので、ゆっくり気長に準備を見守ります。
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観客席の椅子に座っていると、グループの会長のような方や、偉い方々がどんどん集まってきます。
それと共に一般の人も集まってきて、その人達から少しずつの募金を集めていました。
何をするのかと聞いたら、このお金でご飯も食べれない人たちに無料で配る(約2千人分)と教えてくれました。
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式が始まろうとしたら、いきなり舞台の上に呼ばれ行ってみると、「ここに座れ」と言われ、なんと来賓席へ。
気軽な気持ちで来ていたのでびっくりです。
もちろんインド人以外は、私しかいません。
座って待っていると英語ができる人が横に来て、今回の集まりの主旨を説明してくれました。

大昔、夫婦がいて旦那さんの方は山を越えていつも仕事場へ通っていました。
お昼になると奥さんが毎日お弁当をもって職場へいっていました。

ある日、ご飯の時間になっても奥さんがお弁当をもってきませんでした。
旦那さんが家に帰り奥さんに怒鳴りつけると、奥さんは怪我をしていました。
話を聞くと、山の途中に大きな岩がありそこで足を滑られてしまい怪我をして、
お弁当を届けられなかったということでした。
それをきいた旦那さんは、毎日少しずつ岩を削っていき、長い年月をかけて、山に谷のように深い道を作りました。
そのおかげで奥さんだけでなく、他の町の人たちも便利に通り抜けれるようになった。

こんな話があり、その人のお祝いを兼ねた行事で毎年行うということでした。

数百人の貧しい人から、偉い人まで集まってやっと集会がスタート。

初到着後、大塔へお参りに行ったところ、この時期のインドでは珍しい雨が降っていた。
雨にぬれた大塔を、靴下を脱いで裸足でお参りしたのは、初めての経験であった。
今年はダライラマが来ていないせいか、チベット僧のお参りが少なく、ゆっくりと大塔とその周りをお参りすることが出来た。
子供たちが描いた絵を偉い方が見て回り、その説明をしていきます。
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絵を見終わると、ステージに移動し、そこで演説が始まります。
先ほどのストーリーの話や、貧しい人に手を差し伸べるということ、そして、これからどうしていくのか、ずっと話が続いていきます。
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この話は数時間続き、夜になると、ステージで催しものをして終わります。


周りの人からは、なんで日本人が?という顔で見られていましたが、その場所にいれたことはよかったな実感。(自己満足ですが)

帰り際にビジャイさんが「本当にきてくれてありがとう」と手をにぎって言ってくれた顔が大変印象的でした。


少しずつ仏心寺、また日本人がブッダガヤにいるということが伝わっていってくれたらいいなと思います。