仏心寺駐在日記 12月18日
仏心寺にいると、いろんな旅行者が来られます。
その方といろんな話をします。
世間話から、お互いの感じること、考えること。
お互いの意見が食い違うこともあるので、そのときはお互いの意見を聞いて、
そこは違うなど、討論のようなことにもなります。
むっとする人もいますが、
このように本音で話をする機会は少ないので、楽しく感じます。
特に、インドという日本の常識が通じないインドでは、
お互いいろんな思いがでてくるように感じます。
その中で、よく出る話題が、「物乞い」について。
町を歩いていると「物乞い」の子供、おじいちゃん、おばあちゃんがついてきます。
その子供達に会ったときにどのような対応を取るべきか。
この部分は人によって意見が分かれるところです。
ただ、一概に「物乞い」=かわいそうという見方だけではいけないと思います。
「可哀想であげてしまった」という声も聞こえますが、
それは本当にその子の為になるのか。
自分の気持ちがそれで満足しているだけでないのか。
いろんな考え方が必要になってくると思います。
実際にこれだけの「物乞い」がブッダガヤにいるのは、
一時期大量に支援の手が入り、たくさんの食料や着る物を提供したことが
一つの原因でもあると言われています。
長年にわたり物を支給した結果、
もらうのが当たり前。!
逆に何で最近はくれないの?という形になってしまっているのも事実です。
そして、そのもらうことが子供達の中では、
一種の遊びになっているようになっているのも感じます。
もらえたらラッキー、もらえなかったら、次に行こう。!
本当に「物乞い」をしないと生きていけない子もいますが、
その子たちは何人なのか。?
いろんな状況を考えることが出来ますが、
その中で、あげることによってその後どういう状況になるのか
ということも考えなくてはならない。
支給・提供する側の、責任もあるのでは。
その方といろんな話をします。
世間話から、お互いの感じること、考えること。
お互いの意見が食い違うこともあるので、そのときはお互いの意見を聞いて、
そこは違うなど、討論のようなことにもなります。
むっとする人もいますが、
このように本音で話をする機会は少ないので、楽しく感じます。
特に、インドという日本の常識が通じないインドでは、
お互いいろんな思いがでてくるように感じます。
その中で、よく出る話題が、「物乞い」について。
町を歩いていると「物乞い」の子供、おじいちゃん、おばあちゃんがついてきます。
その子供達に会ったときにどのような対応を取るべきか。
この部分は人によって意見が分かれるところです。
ただ、一概に「物乞い」=かわいそうという見方だけではいけないと思います。
「可哀想であげてしまった」という声も聞こえますが、
それは本当にその子の為になるのか。
自分の気持ちがそれで満足しているだけでないのか。
いろんな考え方が必要になってくると思います。
実際にこれだけの「物乞い」がブッダガヤにいるのは、
一時期大量に支援の手が入り、たくさんの食料や着る物を提供したことが
一つの原因でもあると言われています。
長年にわたり物を支給した結果、
もらうのが当たり前。!
逆に何で最近はくれないの?という形になってしまっているのも事実です。
そして、そのもらうことが子供達の中では、
一種の遊びになっているようになっているのも感じます。
もらえたらラッキー、もらえなかったら、次に行こう。!
本当に「物乞い」をしないと生きていけない子もいますが、
その子たちは何人なのか。?
いろんな状況を考えることが出来ますが、
その中で、あげることによってその後どういう状況になるのか
ということも考えなくてはならない。
支給・提供する側の、責任もあるのでは。
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